カスパロフ対ディープ・ブルー

考える手

読書家の自分が途中でつまらなくなって投げ出した本に「唯脳論」があります。感覚としてその実感が湧いてきませんでした。脳がそんなに偉いのだろうか。政治家やマスコミや知識人だけが国家なのだろうか。手や足の末端も重要なのではないか。

そういえば工芸や絵画などの芸術は頭ではなくて手が勝手に創っているとの話を聞くことがあります。たとえば小説家は万年筆に凝るようです。頭ではなく、手ですらなく、愛用の万年筆が勝手に文章を紡ぎだしているのだとまでいう文筆家もいました。

設計でも頭で考えるのではなく手が勝手に最適な図面を描いているという考えも否定できません。等高線を引くとき、烏口だと地形をなぞっているような感触をもてるのでしょうか。定規ひとつでも学用品は使われません。文房具店でも、製図用具がほかの筆記用具とは別の売り場で鍵の掛かった陳列棚に一桁高い値札で飾られています。

そのロットリングなどの製図ペンに比べてマウスはいかにも心許ない。たかがインターフェースだけの問題かもしれませんが、設計・製図にパソコンシステムを使うとなにかが失われるような気がしています。下手をすると、これは自分ではなくCADが勝手に作った図面だといいだすかもしれません。もっとも万年筆が勝手に書いたのだとする文筆家とどこが違うと問われればそれまでですが。

また技術とは体で覚える、身体が覚えるという考えがあります。教育機関の中にはあえてCAD操作カリキュラムを後回しにするところもあるようです

CADか手書きか。

不器用者には問うまでもありません。見方を変えれば贅沢な悩みです。そういえば、生きるべきか死ぬべきかニ悩んだハムレットはデンマークの王子様でした。