夏への扉

住民参加

昔の外国人旅行記によると、江戸時代の田園風景、それは美しい風景だったそうです。丹精込めて田園に日本庭園を作り上げていたのでしょう。豊かな時代の公共事業のあり方のひとつではないでしょうか。

一時期公共事業で住民参加が注目されたことがあります。

住民の提案による理想郷の実現

理念とすればすばらしいのですが、行政に属するものの立場でいわせてもらうと、抑えつけられていた争いごとが表面化して、ただそれだけで終わってしまった事例もあるのではなでしょうか。

豊かな景観は豊かな心の住民から生まれるとおもいます。日頃の行政の現場でも関係者はどうしてもこまごまとしたサカイを競る傾向があります。豊かな社会とは、EU統合のようにおたがいのいさかいを取り払ってともに協力することから始まると思うのですが、現時点の権利者はどうしてもこれまでのいきさつから離れることができないようです。もめごとの貸し借り、これも一種の不良債権と考えれば解決の難しさが想像できます。ただし感情的な対立が問題の場合にはまだ解決策があります。土地の所有者(世代)が替わればよいのです。

きつい言い方になりますが、本当の未来は貧しい時代に育った世代が社会から退いたあとにやってくるように思えます。悲観的な未来ばかりが伝えられる小子化ですが、こころの豊かな世代を生み出すという未来も描けるのではないでしょうか。土地を地位や財産ではなく、道具として利用できる世代。(共産主義のように)みんなが借地、借家ならまた違った土地利用もできます。

そういった未来でのCADは素人でも使えるようになってほしいとおもっています。

建築ではお施主さん自身が設計に参加できる簡易なCADソフトがあるようです。都市計画、区画整理などでもそういった素人でも扱えるCADソフトができればより公共事業が身近なものになるのではないでしょうか。

住民(素人)のみなさんが関わる設計は、どうしても手間も費用も時間もかかり手戻りも生じます。地域内部の摩擦も表面化するでしょう。そのうえ出来もよくない。しかし、盆栽だって俳句だって本人が満足しているほどには出来は良くないものです。できたものを評価する住民のみなさん自身が満足すれば、それはそれでいいのではないでしょうか。

既製品をやめて、自分でつくる。
なにか趣味のような公共事業ですが、それでもいいと考える人が豊かな時代には現れてくるとおもいます。