個人分権

地方分権により国から県へ、県から市町村へ権限の委譲が行われるそうです
この流れでゆくと、いずれ市町村から地域へ、地域から個人へと権利(たとえば公共物の管理)が委譲されてゆくのかもしれません

民主主義は民(たみ)が主(あるじ)と書きます。
しかし現実は自分がアルジと実感している人は少ないでしょう
公が個人に解放されていないからです
公共物が何でもお上の管理なので、玄関の前の側溝蓋が落ちていてもアルジであるはずの個人はそれを指をくわえて眺めているくらいしかしようがありません

デモクラシー(民主主義)については下克上主義という訳語も候補に挙がっていたと何かで読んだことがあります。
たしかに現代社会はクーデターに代わる投票制度を発明したので、政権交代が頻繁におこなえるようになりました
でも、それではまだ封建制度が道具を持ち替えたに過ぎません
公を為政者と役場だけにまかせておいて、気にくわなくなれば発作的に別のお気に入りにすげ替える
これでは秦の始皇帝や徳川幕藩体制のような封建時代と何らかわりないようにおもます

いまの状態では、お上を非難し、トップを取り替えることだけがアルジとしての役割のようにおもわれていますが、ほかにできることはないのでしょうか
お上を非難する以外ほかに

公共施設に関わることもアルジとしての役割のひとつではないでしょうか
NPOの非営利活動など、公人以外の個人が公の活動を許されるようにれば、アルジとしての活動の場が開かれるとおもいます
市町村から地域へ、地域からグループ(NPO)へ、グループから個人へとこれから権限の委譲が少しは進むものと考えています