おらがまちのプライド

むかし(戦前)は公共的施設といえどもタダ(税金)ではなかったようです
いまの県道や市町村道も元をただせば昔の村民の労働奉仕や拠出金で拓かれた事例も多いと聞きます。
八幡様などの神社の例ですと、鳥居の近くには工事に寄付した人の石板が残っています
小さな山村や漁村には、そこに不釣り合いなほどの神社仏閣が建っていたりします
その大きさはそこに住む人々のプライドをではなかったでしょうか
自分たちが金や労力を提供するからこそプライドになるとおもわれます
お上にいただいた施設では、まるで治外法権が適用される米軍基地のようなものでとてもプライドとはほど遠い存在です

自分のつくる公共物
こういうと自分の里橋にも自分のプライドを示したいと考えるひとがいないとも限りません
公共物とは公に供する物と書きます
公的な構造物の場合あまりに個性的な構造物はさけたいものですが、法令や指針にとらわれ過ぎると今度は割高な構造物になってしまいます
ちなみに「道路橋示方書」では25t荷重(ほとんど戦車なみ)と規定されています
成金趣味は論外として、設計条件や構造形式などである程度個性や主張が出てくるのはやむを得ないのではないでしょうか。